2 坂口安吾(1906-1955)の「肝臓先生」のLのストーリー
「肝臓先生」(1950)の購読脳を「流行性肝臓炎と治療」とし、共生の読みによる心的活動からの執筆脳を「意欲と普遍性」にする。主人公の赤城風雨は、伊東の町医者で温泉街の診療所に来る患者を診察し治療を続ける。
周知のように、戦時中は様々な病気が日本中を蔓延した。1932年(S7)満州事変以来、亜黄疸の患者による肝臓肥大が見られるようになり、志那事変が始まる1937年(S12)にはこうした患者が急速に増え、殊に感冒患者は、ほとんど肝臓肥大で圧痛を訴えることが普通となった。診る患者のほとんど全部の肝臓が腫れている。あまりのことに驚いて、脚気の患者も頭痛の患者も容赦なく胸をあけて肝臓を調べると、例外なく肝臓を腫らしている。疑いもなく肝臓炎の症状だ。伊東の風土病などではない。
風雨は、2000例以上こうした患者を治療し、集約して流行性肝臓炎とか流感性肝臓炎とか名づけた。支那大陸から持ちこまれた流感と関係があるに違いない。恩師の謝恩会の席で著名な肝臓の権威から報告が正しいといわれ、風雨は、大喜びする。
花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』の執筆脳について」より
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