戦後堕ちきることを想定した安吾は、アドルムやヒロポンを服用したため、これらの副作用や不規則な生活からうつ病の病前性格が表れる。1948年の梅雨時からうつ病の症状がでる。
執筆活動は続けるも、アドルム、ヒロポンを引き続き服用したため、病状は悪化し、幻聴、幻視も見られ、1949年1月に狂乱状態に陥り、睡眠薬中毒と神経衰弱で2月に東京大学医学部付属病院に入院した。治癒後4月に退院し執筆活動を再開するも、薬物でまたも病気が再発し、その夏に夫人とともに療養を兼ねて伊東へ移り、1950年1月「肝臓先生」を出版した。
ここで心の病との関連を考えることができる。花村(2019)は、心の病気の原因として、一つが生物学的な基盤、また一つが無意識の心理、即ち、生活から生まれる思考パターンとか社会や文化の影響などを挙げている。前者は身体因による精神の病であり、後者は心因による心の病である。
坂口安吾の場合、執筆意欲の反面、心因による心の病が考えられる。こうした心の病からの出版でも何か行動を起こすとき、欲求や衝動が行動のトリガーとなり、目的を持った行動を心掛けるための意思が働く。日本成人病予防協会では、行動を制御する意思と欲求を合わせて意欲といい、物事を積極的に行おうとする精神作用としている。赤城風雨の場合、行動のトリガーによる治療から医者としての普遍的な気持ちがあるといえる。
そこで、「肝臓先生」の購読脳から執筆脳の信号の流れを長期に渡る薬物の服用に対する漠然とした不安感にする。数々の病歴を重ねてからの図書出版のためである。以下では、「肝臓先生」に関し「坂口安吾と正義ある普遍性」というシナジーのメタファーを考える。
(1) 購読脳から執筆脳への信号の流れ
購読脳「流行性肝臓炎と治療」→執筆脳「意欲と普遍性」、故に「坂口安吾と正義ある普遍性」
花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』の執筆脳について」より
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